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東京家庭裁判所 昭和52年(少ハ)6号 決定

少年 T・M(昭三一・二・一〇生)

主文

本件申請を却下する。

理由

申請人は上記の者につき、本人が満二三歳に達するまでの期間少年院に戻して収容すべき旨の申請をなした。その申請の理由は別紙(1)のとおりである。

そこで、当裁判所は本人の保護事件記録および少年調査記録ならびに当審判廷における本人、本人の父T・Y本人担当の保護司○谷○平ならびに申請書添付の本人および父親の各質問調書を綜合すると凡そ次の事実を認めることができる。

本人は、中学校入学当時から、窃盗、恐喝等の非行を反覆し、中学二年頃から薬物乱用(ボンド)を始め、その嗜癖激しく、精神衛生法により○○○病院に入院、約一ヵ月後退院しさらに○○病院に二ヵ月程入院した後退院した。その間しばらく小康を保つたものの退院後再びボンド吸引が激しくなり、○○病院に再入院した。病院内での成績は不良で窃盗などの問題行動も起していた。このような状態のため病院からの通学を行つていたが、学校内でも問題行動多く登校停止等の措置もとられた。自宅に帰つては再びボンドを吸引し始め、病院に再び連れ戻されるも、又逃走して再びボンド類の吸引をするなどで、結局蒲田署から当庁に事件送致され、昭和四五年六月別紙(2)の決定書のとおり初等少年院に送致された。収容先の千葉星華学院においては、同年六月入院二級下同年一〇月二級の上、昭和四六年二月一級下進級、珠算賞、同年三月中学卒業証書取得、同年五月一級の上進級との経過をたどり、同年九月ほぼ順調に、仮退院した。そして父の職場に入りエンジン部品の組立工として稼働した。

昭和四七年二月同所を退職してから、教習所に通い原付免許を取得、その後自動二輪の免許も取得した。

この間、転職は度々あつたがまずまずの状態であつた。

ところが昭和四八年五月、再びセメダインを吸引、六月シンナーを吸引し、再び薬物乱用が始まり、これがため交通事故なども起したりした。

シンナーの嗜癖はますます激しくなり、昭和四九年三月ぐ犯送致され、観護措置がとられ同年四月保護観禁に付された。

しかしその後もシンナー嗜癖が激しく、これが事件として送致され一旦は在宅試験観察になつたが、その後も一向に改められなかつたため、昭和四九年八月二〇日別紙(3)のとおり、中等少年院に送致され、二度目の収容保護が試みられた。

収容先の神奈川少年院においては、同年八月二二日二級の下、同年一二月一日二級の上、昭和五〇年三月一級の下努力賞、同年五月善行賞、七月一級の上、クラブ賞、八月努力賞、善行賞、一〇月精勤賞と院内成績極めて良好で一〇月一三日仮退院となつた。

仮退院翌日一四日は特段問題はなかつたが、一〇月一五日再びシンナー遊びを始め、これが数日で前にも増して激しくなつたため別紙(4)の決定書記載の経過で戻し収容され、三度目の収容保護のはこびとなつた。

収容先の八街少年院においては昭和五〇年一一月二級の下、昭和五一年二月努力賞、同年三月二級の上、同年四月努力賞、同年六月一級の下努力賞、同年八月一級の上努力賞、同年九月優良賞、同年一〇月努力賞、同年一〇月二八日仮退院というこれまた順調な経過をたどつた。

仮退院後、整備関係の仕事を捜していたが職がなかなか決まらず、再び同年一一月八日頃、シンナーを吸引するに至つた。

翌九日自動車会社に保護司の紹介で就職しようとしたが断わられ、翌一〇日再びシンナーを吸入、蒲田署に逮捕され、三日後帰宅、罰金三万円となつて父がこれを支払つた。

同月一四日保護司の紹介で自動車会社に住込み就職、会社の休日に業務用のシンナーを吸引、同僚に知れ、その後もシンナー吸引繰返したため、退職の巳むなきに至つた。

同年一二月一四日○○食堂の車内販売の臨時社員となり、○○本線の特急列車の車内販売を担当、この期間シンナー吸引がぷつつり止まり、昭和五二年二月まで家族との関係も良好で順調に経過した。これでシンナーからふつ切れた状態になつたと本人、家族共々安心したところ、同年二月正社員に採用されることになり臨時採用の際に虚偽の事実を書いたことなどが気になり出し、精神状態が不安定となり、同月一八日せつかく自己の意思でやめていたシンナーを激しく吸引、母と兄から金をせびつて家出、翌一九日行くあてもなく公園でシンナーを吸引しているとき警察官二人に職務質問され、これに対して殴る蹴るの暴力を働いたため公務執行妨害で逮捕され、勾留の上起訴された。同年三月九日父が保証金五〇万円をどうにか都合つけたため保釈される。公判期日は同年五月一六日と決定。

翌三月一〇日他人の家に入つてシンナー吸引しようとして逮捕され、同月一八日釈放、帰宅後もシンナー吸引、同月三〇日公園でシンナー吸引、逮捕される。

同年四月五日自宅でシンナー吸引中、これを取り上げようとした父と罰金の支払いに関して口論となり、父を足蹴りし、失神させ三日間入院させる。かけつけた保護司にも殴りかかり、蒲田署員に逮捕される。

同月八日蒲田署から釈放されたが、その後もシンナー吸引。

同月一四日○○○公園でシンナー吸引中大森署員に逮捕される。同月一六日釈放され、帰宅。同月一九日引致状により入鑑した。

以上が本人の経過概略であるが、説明をするまでもなく本人の要保護性は極めて高い状態であり、シンナーで荒れ狂う状態から本人を抜け出させることは不可能に近い困難さを感じさせると言つても過言ではない。この意味においてシンナーとは隔絶した施設への収容も十分考えられるところではある。

しかしながら当裁判所は以下の理由により、再度の戻し収容を行わないこととするのが相当であると認めた。

その理由の第一点は本人が施設による矯正教育に適さないことである。

この点は上記経過からも明らかなとおり、三度にわたる収容保護がシンナー吸引癖の除去に何らの効を奏さなかつたことからも明らかである。八街少年院に対する協力依頼書において、本人は圧力場面においては強迫型の自我防衛を行うので、常に施設内では表面適応に終始し教育の可能性は少く、再び戻し収容を行つても効果はないことを指摘している。東京少年鑑別所からの鑑別通知書においても、四度、少年院に収容したところで、今回と同様のことが繰返されるだけで、あと一~二年後に現在と同様の問題が持ち出され、少年院に収容することは積極的な意味がないとし在宅保護の意見を提出している。本件担当調査官においても、少年院というきちんとした枠の中では他律的に従うことによつて表面的に適応し、仮退院後の実社会においてどうしてよいか分らないというあせりと不安から挫折しているのであり、施設馴れした少年を今回四度収容しても無駄である旨指摘している。このことは収容保護の限界を物語るものであり、このような状態で再度収容に踏み切ることは保安処分以外の何物でもない。

その理由の第二点は本人を寧ろ成人として取扱う方が相当であるという点にある。

まず本人の年齢は既に二一歳を超えている。本人は、客観的には、少年と同じような社会的な未成熟さと精神的不安定な状態を強く有しているものの、自分自身の意識においては、既に大人なのだという考えがあり、再び未成年者と同様に取扱われることに強い不満を抱いている。

これがため、戻し収容が本人に与える屈辱感ははかり知れず、そのため精神的に一層不安定な状態を来すおそれがある。さらに既に度重なる収容において実社会における不適応を来している面も否定できない。このような状況下にさらに戻し収容することは再び釈放されて出て来たときの社会とのギャップを一層深め以前にも増して本人の不適合感を増すことが予測される。本人は、基本的には家族、社会に対する“甘え”を持つている。保護の一貫性を欠くことは本人に混乱を来たすだけである。寧ろ、この際は本人に大人としての自覚を持つ方に指導を徹底させ、問題を社会内で処理する能力を付けさせる以外道はない。父親は一方で保釈に奔走しながら、他方で釈放後、戻し収容を強く望むなど、心情的に分らぬわけではないが、一貫性を欠き、本人に大人としての自覚反省をする機会を失し、“甘え”から再びシンナーへの逃避をはからせる余地を与えたと評価しうる。この際、思い切つて実社会においた状態で、徐々に又失敗を重ねつつ、保護司の熱心な指導の下に、大人としての責任と自覚を与えつつ、シンナーに逃避しない強じんな精神力を育成して行くのが相当である。職場環境如何によつてはシンナーを絶つことも可能なことを本人は経験的知識として持つている。収容されていない限りシンナーは絶てないとの観念を強く抱かせないよう、働きかけを行うことも必要である。本人はIQ一〇六で知能的には問題がないのであつて実社会における生活に自信を持てるようになれば更生も可能であろう。

その理由の第三点は理論上の問題として、本件再度の戻し収容は、二重の処罰禁止の関係上極めて好ましくない点があるということである。

確かに遵守事項違反は歴然としている。しかしその主たる事由はほとんど刑事訴追を受け、罰金で確定しているかあるいは、公判請求中である。戻し収容も自由の制限をともなうこと刑事責任と同一の面を持つている。これを二重に評価して不利益負担を課すことは問題であり、既に二一歳を超えている少年に実刑判決が降り、戻し収容も許容されたとなるとはたしてその効力や執行の関係はどうなるであろうか。特に本件戻し収容は教育的効果を期待してではなく、社会における行動の自由を制約せんがための色彩が強いのであるから刑罰に代えての保護処分と言つてもよいであろう。この点を考えると、二重処罰禁止の原則の趣旨から、既に刑事訴追を受けている事由をもつて遵守事項違反の事由でもあるとして戻し収容することは特段の事由のない限り許されないと解すべきである。もつとも本件申請に係る遵守事項違反の事実は刑事訴追を受けた部分のみでないので申請自体違法ではないとしても、それが主たる理由であることからこのような取扱いは問題があると言わざるをえない。

以上の次第で、当裁判所は本人を再度戻し収容することは理由がないものと認め、主文のとおり決定する。

(裁判官 佐々木一彦)

別紙(1)

申請の理由

本人は、当委員会第三部の決定により、昭和五十一年十月二十八日、八街少年院から仮退院を許され、標記住居に帰住し、仮退院期間を昭和五十二年十一月九日までとして、以来東京保護観察所の保護観察下にあるが、昭和五十二年四月十九日、同保護観察所に引致され、同日当委員会第四部から「戻し収容申請について審理を開始する」旨の決定をうけ、同日以降、留置期限を同月二十八日までとして東京少年鑑別所に留置されている。

昭和五十二年四月十九日付け、東京保護観察所長からの戻し収容申出書及び同書添付の関係書類を精査すると、

一 東京保護観察所においては、本人は、自発性が乏しく、依存的、逃避的な傾向が認められ、中学二年頃から覚えたシンナー吸引が嗜癖化しており、薬物依存による現実逃避の行動をくり返すおそれが強く、また、家族との情緒的な結びつきに乏しく、更には、職業への定着性にも欠けていたため、家族との接触を密に保たせ、感情の隔和を図り、地道な生活目標を設定させ、充実感、満足感の具体的感情体験を蓄積させることによつて、社会適応を促すために助言し、指導する方針をたてて保護観察の実施にあたつてきた。

二 しかるに、その保護観察の経過をみると、本人は、

1 仮退院した翌日に、少年院に在院中に準備していた、東京都大田区○○○×ノ×ノ×○○荘に転居したが、昭和五十一年十一月八日頃、シンナーを吸引し、同月十日、右○○荘において再びシンナーを吸引し、同日蒲田警察署員に補導され、

2 同月二十三日、住込就労先の東京都大田区○○○○○カローラ内でシンナーを吸引し、

3 昭和五十二年二月十八日には東京都大田区○○○×ノ××ノ×、所在の自宅において家族の注意も聞き入れずシンナーを吸引し、家族が蒲田警察署に本人の補導を申し出たところ、本人は自宅を飛び出し、川崎市内の旅館に一泊し、

4 翌十九日、川崎市川崎区○○町××、○○公園内においてシンナーを吸引し、川崎臨港警察署派遣神奈川県警察本部自動車警ら隊勤務、司法巡査○津○蔵、同○浜○博の両名からこれを現認され取調等のため同行を求められ、任意同行中座り込み、これを助け起そうとした右○津巡査の肩部及び腰部を足で蹴りつけてその場に転倒させたうえ、足で腰部を蹴りつけ、さらにこれを制止しようとした右○浜巡査の肩部及び腰部を足で蹴りつけ、手拳で胸部及び腹部を殴打するなどの暴行を加え、よつて両巡査の職務の執行を妨害し(本件により、昭和五十二年三月二日、公務執行妨害の罪、同月十二日、毒物及び劇物取締法違反の罪により、それぞれ横浜地方裁判所川崎支部に公訴の提起がなされている。)

5 昭和五十二年三月九日、保釈となり、父方に帰宅したが、翌十日、渋谷区内でシンナーを吸引するため民家に侵入し、渋谷警察署員に逮捕され、

6 同月十八日、渋谷警察署から釈放され、帰宅したが、その後も自宅で、家族の意見を聞き入れずシンナー吸引をくり返し、同月三十日には公園でシンナーを吸引したため逮捕され、同年四月五日、自宅でシンナーを吸引し、父がシンナーを取り上げたところ、父を足蹴りして、父に入院三日を要する傷害を与え、この際母からの電話でかけつけた保護司にも殴りかかり、蒲田警察署に逮捕され、

7 同月八日、蒲田警察署から釈放され帰宅したが、その後もシンナー吸引を続け、同月十四日には、大田区内、○○○公園でシンナーを吸引したことにより、大森警察署員に逮捕され、

8 右の行為により渋谷簡易裁判所等において、罰金四回の略式命令をうけ、

9 昭和五十二年二月八日頃からは、全く正業に従事しなかつたことが明らかであり、右の各事実は、本人が仮退院に際して遵守することを誓約した犯罪者予防更生法第三四条第二項所定の遵守事項の第一号、第二号、および、同法第三一条第三項の規定により、当委員会第二部が定めた遵守事項のうち、3どんなことがあつても、今後は決してシンナーなどを吸つたりしないこと、4余暇時間を有効に使用し、堅実な、充実した生活を送ること、5きまつた仕事について、まじめに辛抱強く働くこと、6父母兄弟と和合、協力し、進んで保護司の指導、助言をうけること、

のそれぞれに違反しているものである。

三 つぎに保護観察の経過ならびに諸般の状況にてらし、このまま保護観察を継続し、社会内処遇をもつて、本人の更生を期待することが可能か否かについて検討すると、

1 本人は、保護司の紹介により、昭和五十一年十一月十四日、東京都大田区○○○、○○カローラに整備工として住込就労したが、同年十二月三日から七日頃まで無断外泊をし、右を退職し、

2 同月十四日、自ら、○○食堂車内販売の職をみつけ、一時は安定した就労を続けていたが、

3 昭和五十二年二月八日、再びシンナー吸引を始めてからは、以降就労意欲を喪失し、全く就労しないばかりか、保護者の正当な監督に服さず、前記のとおりシンナー吸引をくり返し、保護司の指導にも従わず、保護司に乱暴まで加えるに至り、保護観察になじまず、自ら更生のための生活の基盤を開拓しようとする意欲が認められない。

以上を総合すると、本人は少年院送致決定前と同様、行動不安定な状態にたちもどり、保護者の保護能力をこれ以上期待することはできず、更に保護観察における指導監督も既に限界に達しているものと認めざるをえず、このまま放置すれば性格負因は更に拡大し、反社会的行動も固定化し、重大な非行を累ねるに至るおそれが極めて大きい。

よつて、この際、本人をすみやかに少年院に戻して、あらたな反省の機会と、積極的な処遇をあたえることが必要であり、もつて将来の更生を期することが最も妥当な措置であると認め、犯罪者予防更生法第四三条第一項の規定により、この申請をする。

別紙(2)・(3)・(4)〈省略〉

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